「ユーザーに欲しいものを聞いたら、収拾がつかなくなった……」
「現場の要望をすべて盛り込んだら、予算もスケジュールもパンクした……」

要件定義のヒアリングフェーズで、多くのリーダーが陥るのがこの「要望の洪水」です。

前回は、[要件定義シリーズ第2回:全体像]で、要件を4つの階層で整理する重要性を学びました。しかし、その中身を埋めるための「材料(情報)」を集めるヒアリングは、一筋縄ではいきません。なぜなら、ユーザーは自分たちが「本当に必要なもの」を正しく言葉にできるとは限らないからです。

今回は、家族旅行の「行き先決め」を例に、バラバラな「わがまま(要望)」を「真のニーズ(要件)」へと整理していくテクニックを解説します。

要望(Want)とニーズ(Need)の決定的な違い

ヒアリングにおいて最も大切なことは、「相手が言っていること(要望)」をそのまま「要件」にしないことです。

【家族旅行のケーススタディ】

旅行の計画中、家族からこんな要望が出たとします。

  • 長女: 「絶対にハワイに行きたい!」
  • 長男: 「北海道でスキーがしたい!」
  • お母さん: 「近場の温泉でゆっくりしたいわ」

これらをすべて叶えようとすると、ハワイで温泉に入りながらスキーをするという、物理的に不可能な計画になります。これが、システム開発における「全部盛りで失敗するプロジェクト」の縮図です。

ここでリーダー(お父さん)がすべきは、それぞれの言葉の裏にある「なぜ?」を深掘りすることです。

  • 長女(ハワイ)の真意: 「インスタ映えする青い海が見たい、非日常を味わいたい」
  • 長男(北海道)の真意: 「思いっきり体を動かして遊びたい」
  • お母さん(温泉)の真意: 「日頃の家事から解放されて、移動疲れなくリラックスしたい」

このように深掘りして出てきた「背景にある目的」こそが、本当のニーズ(Need)です。「ハワイ」や「スキー」は、そのニーズを満たすための一つの手段(Want)に過ぎません。

「わがまま」を整理する3つの質問:なぜ、ほかには、もし

相手の本音(ニーズ)を引き出すためには、単に話を聞くだけでなく、戦略的な質問が必要です。

① 「なぜ(Why)」:目的を掘り下げる

「なぜハワイなの?」と聞くことで、特定の手段に固執している理由を明らかにします。

  • 効果: 手段(Want)を目的(Need)に昇華させ、代替案の検討を可能にします。

② 「ほかには(What else)」:隠れた要望を出す

「ほかに行きたい場所や、やりたいことはある?」と聞くことで、最初に出てきた強い要望以外の、潜在的なこだわりを引き出します。

  • 効果: 視野を広げ、全体のバランスを考える材料を揃えます。

③ 「もし〜なら(What if)」:優先順位をあぶり出す

「もしハワイに行けないとしたら、海とショッピングどっちを優先したい?」と二者択一を迫ります。

  • 効果: 相手にとって「譲れない一線」がどこにあるのかを確認します。

要望を構造化する「要望整理シート」

ヒアリングで出たバラバラな意見を、第2回で学んだ4つの階層(視点)を使って整理しましょう。「要望」を「ニーズ」へ変換することで、検討の土台が整います。

旅行の例:家族のわがままを整理する

要望(生の声)ニーズ(真の狙い)
ビジネス(目的)「豪華な旅にしたい」日頃の感謝を形にする
業務(過ごし方)「朝はゆっくり寝たい」移動の負担を最小にする
機能(道具・手段)「YouTubeが見れる車」移動中の子供の退屈しのぎ
非機能(品質・安心)「食事が美味しい所」アレルギー等への柔軟な対応

ビジネスの例:現場の要望を整理する

カテゴリ要望(生の声)ニーズ(真の狙い)
ビジネス(目的)「新機能が欲しい」他社との差別化を図る
業務(過ごし方)「一発で入力を終えたい」作業の自動化・効率化
機能(道具・手段)「スマホアプリ版」外出先からリアルタイム確認
非機能(品質・安心)「絶対に止まらないで」24時間365日の安定稼働

リーダーに必要な「翻訳」の技術

要件定義におけるリーダーの役割は、ユーザーの「言葉」を、エンジニアが理解できる「仕様」へと翻訳することです。まずは具体的な翻訳の事例を見てみましょう。

翻訳の事例:曖昧な言葉を具体化する

  • ユーザーの言葉(曖昧): 「とにかく使いやすくしてほしい」
  • リーダーの翻訳(具体的): 「現状、入力に10分かかっている作業を、3分以内に完了できるようにしたい(性能・操作性要件)」
  • 家族の言葉(曖昧): 「いい感じの宿にして」
  • リーダーの翻訳(具体的): 「祖父母が歩きやすいように段差が少なく、部屋食ができる宿」

このように、相手の主観的な言葉を客観的な要件に変換するには、3つのコツがあります。

翻訳を成功させる3つのコツ

  1. 形容詞を「数字」に置き換える
    「使いやすく」を「3クリック以内で完了」に、「豪華に」を「予算1人5万円」に。主観を客観に変えるのが第一歩です。
  2. 「現状(AS-IS)」の問題点(不満)を確認する
    「なぜ今のシステム(旅行)ではダメなのか」を徹底的に聞きます。 いきなり「問題点は?」と聞くよりも、「今のやり方で一番ストレスを感じる瞬間はいつですか?」「もし一つだけ不満を消せるとしたらどこですか?」といった聞き方をすることで、解決すべき本質的な課題が見えてきます。
  3. 「主語」を明確にする
    「便利になる」と言われたら、「誰にとって?」と聞き返します。お母さんにとっての便利と、長女にとっての便利は違うからです。

まとめ:ヒアリングは「合意」ではなく「理解」から

ヒアリングのゴールは、相手の要望をすべて受け入れること(Yesマンになること)ではありません。相手が「何を解決したくて、その発言をしているのか」を深く理解し、納得感のある代替案を提示することです。

  • 要望をそのまま受けない: 常に「なぜ?」をセットで聞く。
  • 構造化して整理する: 出された意見を階層に仕分ける。
  • 目的を共有する: 「今回の旅の目的(親孝行)に照らすと、ハワイよりこちらの方が良くない?」と、第1回で決めた「旗印」に立ち返って説得する。

これができれば、わがままの洪水に飲み込まれることはなくなります。

次のステップ:具体的手段への落とし込み

ニーズが整理できたら、次はいよいよ「観光コース(業務)」と「移動手段(システム)」を具体的に決める段階に入ります。

次回は、「業務要件とシステム要件:『観光コース』と『移動手段』の違い」について解説します。 なぜ「どんなシステムを作るか」よりも先に「どんな業務にするか」を決めなければならないのか。その本質に迫ります。

最高の一日のために、まずは家族全員が「自分の意見を聴いてもらえた」と感じる、質の高いヒアリングを目指しましょう!

次の記事を読む:業務要件とシステム要件: 「観光プラン(やりたいこと)」と「移動手段(実現方法)」の違い

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メーカーに入社し、その後IT部門が分社独立、情報システムエンジニアとして30年以上勤務しています。これまで多くのプロジェクトに携わり、それらの経験から得た知見を覚え書きとして記録することで、厳しい現場で奮闘しているSEの皆さんの一助となれば幸いです。